2011年9月17日土曜日

『本格派のための「英文解釈」道場』の私的訳 その1

『本格派のための「英文解釈」道場』 筒井正明 大修館書店 2010


今この本を使って英文解釈の勉強をしています。
これはゼミの先生に「英文を読むのに苦労する。単純な文構造ならともかく、複雑な構造を持つ文が苦手で、アカデミックな文を読んでいてわからないことがしばしばある。」ということを相談したときに薦めてくれた本です。

いや、正直英語教育を専攻していながら、英文読むのが苦手ってどうなの、と思うかもしれませんが、文法の学習を怠った者としては、本当に悩みの種です。しかしこれがないと英語学習者としての成長が止まるのではないかと思って、再学習を決心したんです。英会話さえできれば満足というわけではないので、しっかり勉強したいですね。

それでまだこの本を使っての学習は浅いんですが、この本はなかなか読みごたえのある文章が多いと思います(ぼくの英語力が低すぎて、読みごたえがあるだけなのかな)。解説も丁寧なので、わからないところがあっても、たいてい助けてくれます。文の構造をしっかりと捉え、ちゃんと理解しながら英文読みたい、という人にはお薦めできるかな。
文法書ならNext Stageとかも持ってますけど、もうあれを使って勉強する時期はすぎたかなって思いますね。あれは文法事項の大量インプットが必要な時期にやるものかなって個人的には感じてます。

というわけで、まったくぼく個人のためでしかないのですが、読んだ英文を自分なりに訳して、ここに残しておこうかなと思います。本当はぼくの訳に加え、英文と模範訳も載せたいのですが、さすがにそれは著作権に触れるのかなって思うので、ぼくの訳だけ残します。それはさすがに問題ないでしょう。


ここから先はぼくのへなちょこな訳が載ってるだけですし、自分の学習のために書いたものなので、読んでも意味がないかもしれませんね(笑)



第一番 接続詞
友情は理屈を超えたものである。それゆえ友人の中に徳を見出すのだが、そんなもの(徳)を見出す以前からその人は友人だといえる。友情はわたしたちが提供すべくして提供する贈り物のようなものである。友情を徳の報酬として与えるというのは、友情に値段をつけるようなもので、そんなことをする人々は友情を与えることができない。自分が徳のある人間であるという意識や、徳のある仲間がほしいという気持ちの下で友人を選んでいるとしたら、友人を商業的な理由で選んでいるよりも、ずっと真の友情からは遠い。それ以前に、諸君が一体何者であれば友情に価値づけできようというのか。どんな人にも友人を作ることができる神秘的な力を持っているということだけで十分で、あとはそのおもむくままにして友人を作ればいいのである。だから徳のある人々を友人にしようとしても、その人たちがあなたを友人と選ばないかもしれない。友情とは実に、打算的な友情選択の前には起こりえないのである。それはまるで眠りのように、考えてもみないときに訪れるのである。友情を感じたときには感謝すべきである。

だから友情が何たるかわかっている人は、友人の評判が悪くなったからといって友人を見捨てるようなことはしない。友人をやめるたった一つの理由があるとすれば、それは労わることをやめたときだろう。そしてそうなることがあれば、友人が価値を失くしたことではなく、自分の愛情の欠乏を責めるべきである。それは女性に関しても言えることで、女性に恋に落ちたときに彼女には価値がないと思うようなもので、非人間的な想像である。本来友情と恋愛においてわれわれはいつも控えめである。それは無償の贈り物が天からわれわれに授けられるから。友情や愛を失うことでその控えめさを失くすといことは、恥ずべきものに固執しているということなのである。



訳の練習を重ねるうちに、自分の成長が見えてくるといいな。

2011年9月15日木曜日

東京の印象と感想

久々の更新ですね。今回は随想というより、雑記です。

先日友人と横浜・東京に行ってきました。目的が慶応大学で行なわれた学習英文法シンポジウム参加のためだったので、旅行と言えるほどのものでもなかったですが、一応感じたことを残しておこうかと思って。


旅行初日、広島から新幹線に乗って新横浜に向かいました。新幹線もあまり長時間乗ると苦痛かな。広島~鹿児島中央の2時間30分は耐えられるけど、広島~新横浜の4時間はあまりに耐え難かったです。できれば東京まで新幹線で行くというのは、もう嫌かなって思います。

苦痛に感じた理由は複数あります。
一つめに人の多さ。広島駅では人がほとんどおらず、「平日の新幹線って空いてるんだ。楽だな。」って思っていたら、姫路や新神戸の辺りから人がぞろぞろ。新大阪・京都・名古屋で人数がピークでした。窓際に座っていたから、トイレにも気軽に行けない。あれは隣に人がいるから、ゆっくりと座れなくて大変でした。
二つめに風景かな。風景がひっきりなしに変わるんです。田舎を走っていたと思ったら、トンネルに入って、街が見えてきて。風景が変わっていく様子は大好きなんですけど、あんなに早く変わると、全然おもしろくないし、風情がないかなって思います。あと目が回ってしまうから、疲れてしまうし。そう考えると時間はかかるけど、ドライブでの旅とか電車の旅はすばらしいと思いますよ。一つの国の中で風景や雰囲気があんなに変わっていくのを感じるのは、本当に心がうきうきしてくるから。

友人と名古屋で合流し、新横浜で降りました。ホテルに向かうため、新横浜から横浜へ向かいました。初めて横浜行ったんですけど、線が多すぎて探すだけで疲れました。線が多いと移動には便利だけど、乗り換えが面倒ですね。それに比べて広島は単純なのでわかりやすいです。なにはともあれ、友人の助けがあり、なんとか横浜に到着。しかしそこで気づくのです。ホテルがあるのは新横浜の方だと。戻らなくちゃいけない。そしてそれに気がついたのは、横浜で改札を通る前。これなら払い戻ししてもらえるかもと期待しましたが、むしろ新横浜~横浜間の料金をもう一度支払うはめに。都会はなんて融通が効かないだと感じました。

そしてすぐに鹿児島・広島に帰りたくなりました。これにも理由があるので書いておきます。
まず都会の冷たさの洗礼を受けたことでしょうね。新横浜~横浜間の金額を二重に取られたこと。田舎ならたいてい通してくれるんですけど。駅員の態度もどことなく冷たい。

次に街の雑踏と圧迫感だと思います。高くて大きくてビルがたくさん並んだ風景。あんなものにずっと囲まれて暮らしたり、あの間を歩いていると気疲れします。高くそびえたビルが襲いかかってくるように感じたのかな。そして、人がひたすらたくさんいる。しかもあれだけ人がいるのに、ぼくのことを知っている人や、気にかけてくれる人はいないという感覚。ぎすぎすしていて、心落ち着くことがありませんでした。

そしてあの雑多な感じ。そしてアパートや家、ビルがぎっしりと立てられていている。人がたくさん住めるように、とりあえずどんどん建物を建てましたという無造作な感じ。耐えられませんでした。

もう一つ。新横浜に着いた時間もいけなかった。夕方で日が沈み始めていて、街は寂しい雰囲気。電車の中の人々に何か寂しいものを感じ取らずにはいられませんでした。ぼくがその人たちの何を知っているかと言われたら、「何も。何も知らないよ。」としか言えないのですが、人々を見るのがつらかったです。週末だったから、実際みんな疲れていたかもしれないですし。

そういう印象を初日から強く受けたせいか、次の日の朝には東京滞在が憂鬱でしかなかったです。


楽しいこともありましたよ。それは人々の思いを想像すること。あれだけたくさんの人たちが住んでいるんですから、みんなそれぞれに思いを持って生きているんだろうなって感じます。どんな思いで生きているのか、そこにいるのかって想像するのはとてもおもしろいことだと思います。特に名前も何も知らない人たちの思いを想像するのはおもしろいですよ。
楽しいのはそれだけだったかな。
あとは友人とゆっくり話す時間ができたことくらい。


ただ滞在がとても短かったのも事実です。東京の魅力を見つけられなかったのは残念でした。東京には必ず何か人を魅了するものがあるに違いないと思います。どんな場所も何かしらの形で人の心を惹きつけたり、何かを感じさせてくれると信じています。また東京にリベンジしたいと思います。次は東京の魅力と、旅の楽しさを感じるために訪れたいと思います。