2011年3月20日日曜日

新約聖書 「種を蒔く人」のたとえより

これからは聖書を読んでいて印象に残った箇所や人にも伝えたいものをブログに残したいと思います。
目的は聖書をより多くの人に手に取ってもらえるようにすることです。ぼく自身はキリスト教徒ではありませんし、特に強い信仰心を持っているわけでもないです。ただ聖書を読むのが好きで、自分の人生や教養のために読んでいるだけです。勧誘等をしているわけではないので、気軽に読んでください。


新共同訳・新約聖書・マタイによる福音書第13章3節から9節まで。

「種を蒔く人」のたとえ
『イエスはたとえを用いて彼らに多くのことを語られた。「種を蒔く人が種蒔きに出て行った。蒔いている間に、ある種は道端に落ち、鳥が来て食べてしまった。ほかの種は、石だらけで土の少ない所に落ち、そこは浅いのですぐ芽を出した。しかし、日が昇ると焼けて、根がないために枯れてしまった。ほかの種は茨の間に落ち、茨が伸びてそれをふさいでしまった。ところがほかの種は、良い土地に落ち、実を結んで、あるものは百倍、あるものは六十倍、あるものは三十倍にもなった。耳のある者は聞きなさい。」』

これの意味は次のように説明されています。

同書・同章・20節から23節まで。
「種を蒔く人」のたとえの説明
『石だらけの所に蒔かれたものとは、御言葉を聞いて、すぐ喜んで受け入れるが、自分には根がないので、しばらくは続いても、御言葉のために艱難や迫害が起こると、すぐつまずいてしまう人である。茨の中に蒔かれたものとは、御言葉を聞くが、世の思い煩いや富の誘惑が御言葉を覆いふさいで、実らない人である。良い土地に蒔かれたものとは、御言葉を聞いて悟る人であり、あるものは百倍、あるものは六十倍、あるものは三十倍の実を結ぶのである。』

たとえ信仰がなくても、この箇所はためになるお話だと思います。こういったものをこれからも少しずつ紹介できたらなと考えています。

2011年3月19日土曜日

視聴者のための報じ分け

今回の東北地震に関する報道で感じたことがありますので、それを書きます。

11日の金曜に地震が起こりました。その日のテレビ番組は地震に関する放送が並びました。問題は次の日です。次の日の報道はすべて被災地現地のニュースでした。福島や宮城に関するものばかりです。しかしその日の朝のツイッターのタイムラインには、どの公共交通機関が動いているかの情報確認と情報提供で溢れていたように思えました。

そこでテレビの報道やニュースを報じ分けることはできないのかと感じました。すべての局で被災地が放送されていました。被災地の被害はこれまでにないくらい甚大でした。しかし関東の人々も確かに被害は受けており、そんな中通勤や通学等しなければならない人々も多かったはずです。ある局は被災地を、別の局は関東の公共交通機関の状況などを放送して、混乱を避けるべきだと感じました。

また被災地の放送に関しても報じ分けが必要だと感じました。原発・安否確認・津波など似たような情報が、それぞれの局で報じられていました。それぞれの局が報じる内容を分担して放送すれば、効率よく視聴者のための報道になったのになと感じます。このような緊急事態だからこそ、テレビ局が連携して情報を提供していくべきだと思います。ぼくらネット世代は自分たちで必要な情報を探すことができますが、ネット環境の中にいない人々や、ネットの世界を知らない世代の人のためにも、テレビの報道は視聴者のためにあるべきだと感じます。