先日ある先生の授業を受けていて、とても素晴らしいなと思う点がありました。
それは学生の解答に対して、学生に学習を促すようなきっかけを与えたことです。
教育界ではこのフィードバックを与えるということが重要視されているように感じます。「生徒に正しいフィードバックを返しなさい」だとか、「フィードバックを返されなかった生徒の気持ち」とかいろいろなことが言われるわけですが、学校に教師のフィードバックについて模範とできる先生がいます。
その先生は「言語を教えることは愛だ」と言っている先生なのですが、本当にそれを実行している先生だと感じています。言葉について教えることによって、言葉をかけることによって、学生たちの成長を促す先生であると感じます。
この前の授業では、ある学生が先生の問いに答えました。質問はMcDonaldのキャッチフレーズでもあるI'm lovin' it.のlovingの相aspectを答えるというものでした。その学生は-momentaryと答えました。答えはこれで合っています。学生は加えてこう答えていました。「だんだん好きになっていくというニュアンスを含んでいる」と。すると、先生は「君はいい考え方をしているな」とにこやかに言いました。人がやる気になるのってこういう何気ない一言だと思うのです。子どものときに何かを褒められて一生懸命になるのって多くの人が経験することだと思うのですが、大人になっていくとだんだんそういうのってなくなりますよね。でも、その先生はそういう気持ちにさせることが上手だと思います。それは先生の言葉から誠実さだとか、先生の優しさが伝わるからです。教師の仕事って教えることだけではなくて、このようなきっかけを与えられる人なのでしょう。
一緒にいる人たちまで嬉しくなるような授業の一つの場面でした。
読んでくれてありがとうございます。
大学を卒業し、ある学校で英語を教えています。 学校での実践、読書、音楽、随想など様々に書きたいですが、「自分の言葉を修練する」ということを意識しながら綴りたいです。 よろしくお願いします。
2010年10月30日土曜日
2010年10月24日日曜日
村上 龍 限りなく透明に近いブルー
上記の文庫本を読んだので、少し書評でも書こうかと思います。
本書は、ハウスを舞台に若者たちの生活に焦点を当てて書かれた小説です。
その生活の中身は、セックス・ドラッグ・暴力など非常に世俗的である意味、低俗なものです。
しかし、これは本作の表層しか捉えない場合の見解です。ゆっくり読み解いていけばとてもわたしたちにも身近な話だとわかります。単にセックスやドラッグに溺れた若者たちの話ではないわけです。
彼らの生活を見ていると、とても刹那的で享楽主義的な生き方をしています。未来が見えない中で、今ただその瞬間を生きるという生活。いい言い方をすれば、「今を生きる」ですが。
しかし彼らはそのような生活を楽しむ一方で、苦しんでいるわけでもあるのです。先が見えない恐怖、もう戻れない過去。彼らは人間誰もが求める安寧というものを探すことに失敗し、どうしていいかわからない状況に陥ってしまった若者たちだといえます。
特に、ケイとヨシヤマの関係は悲しいものでしょう。ヨシヤマは暴力的で一方的に悪人のように描かれています。確かに何があっても暴力に訴えるのはよくない。ましてや女性に暴力をふるっているのですから、悪者として描かれるわけですが、なんのきっかけもなく暴力的になる人間はあまりいないように感じるのです。人間は成長する過程で正しい形で愛されないと、自分も愛の形を知ることなく大人になります。そして恋人・子どもができても、正しい愛情表現ができない人間になってしまいます。もしかすると、暴力をふるうこと自体が愛の証となりうるのです。その面でヨシヤマは人の愛し方のわからない、人間として最も根本的なもの「愛」というものを知らない被害者であるともいえます。これは何も稀なケースではなく、親子関係が希薄になってしまった現代全体としていえます。
また、美しくて儚い過去の回想。オキナワとリュウの会話。オキナワがリュウに再びフルートをするように勧める場面。オキナワはリュウが昔吹いたフルートに何かを感じて、ジャンキーになってからもその気持ちを忘れられない。あの時に感じたものを自分も持っていたら、自分はヘロインをやめるのだろうかという自問自答には、何かを見つけることができたであろう過去へ戻りたいという気持ちと、今の生活から抜け出せるのなら、抜け出したいという気持ちが表れている。しかし彼は現実はまったく逆で、おそらくその道はないだろうということを悟っているようにも見えます。
ぼくも時々感じる虚無感。自分は何がしたいのか、何のためにこの場にいるのか時々考えることがあります。そんなに重々しく考えるわけではないが、ふと自分とはどういう存在なのだろうかと考えるのです。この場面のオキナワもそのような虚無感に襲われているのでしょう。しかも彼の場合ジャンキーですから、考えたところで、答えを見つけることはできそうにありません。
この本はあまりにも低俗であり、過ちばかりの彼らの生活を若者には読ませたくないという意見の人もいるでしょう。しかし、ぼくは低俗で過ちばかりの生活だからこそ、若者に何かを訴えかけられることがあるのだと思います。ある意味、彼らは反面教師として、未来を切り拓いていく若者たちにこのような生活をさせたくないというメッセージが込られめているのかもしれないですし、またたとえ落ちぶれた生活をしている人がいても彼らにも事情があるのだということ、戻りたくても戻れない状態にあるのだということ、そんな人たちを見たときに自分は何をするか、手を差し伸べるか、巻き込まれまいと避けるのかといったことを考えてもらいたいということもあるかもしれません。
小説が本当に伝えたいことは、作者にしかわからないのですが、解釈は自由です。ぼくは勝手ながらこのようなメッセージがあると解釈しました。個人的にはとても素晴らしい良書であったといいたいです。
この本には別な読み方があるでしょう。それを発見し、何を得るか・考えるかは個人に委ねられています。興味があれば、手にお取り下さい。
本書は、ハウスを舞台に若者たちの生活に焦点を当てて書かれた小説です。
その生活の中身は、セックス・ドラッグ・暴力など非常に世俗的である意味、低俗なものです。
しかし、これは本作の表層しか捉えない場合の見解です。ゆっくり読み解いていけばとてもわたしたちにも身近な話だとわかります。単にセックスやドラッグに溺れた若者たちの話ではないわけです。
彼らの生活を見ていると、とても刹那的で享楽主義的な生き方をしています。未来が見えない中で、今ただその瞬間を生きるという生活。いい言い方をすれば、「今を生きる」ですが。
しかし彼らはそのような生活を楽しむ一方で、苦しんでいるわけでもあるのです。先が見えない恐怖、もう戻れない過去。彼らは人間誰もが求める安寧というものを探すことに失敗し、どうしていいかわからない状況に陥ってしまった若者たちだといえます。
特に、ケイとヨシヤマの関係は悲しいものでしょう。ヨシヤマは暴力的で一方的に悪人のように描かれています。確かに何があっても暴力に訴えるのはよくない。ましてや女性に暴力をふるっているのですから、悪者として描かれるわけですが、なんのきっかけもなく暴力的になる人間はあまりいないように感じるのです。人間は成長する過程で正しい形で愛されないと、自分も愛の形を知ることなく大人になります。そして恋人・子どもができても、正しい愛情表現ができない人間になってしまいます。もしかすると、暴力をふるうこと自体が愛の証となりうるのです。その面でヨシヤマは人の愛し方のわからない、人間として最も根本的なもの「愛」というものを知らない被害者であるともいえます。これは何も稀なケースではなく、親子関係が希薄になってしまった現代全体としていえます。
また、美しくて儚い過去の回想。オキナワとリュウの会話。オキナワがリュウに再びフルートをするように勧める場面。オキナワはリュウが昔吹いたフルートに何かを感じて、ジャンキーになってからもその気持ちを忘れられない。あの時に感じたものを自分も持っていたら、自分はヘロインをやめるのだろうかという自問自答には、何かを見つけることができたであろう過去へ戻りたいという気持ちと、今の生活から抜け出せるのなら、抜け出したいという気持ちが表れている。しかし彼は現実はまったく逆で、おそらくその道はないだろうということを悟っているようにも見えます。
ぼくも時々感じる虚無感。自分は何がしたいのか、何のためにこの場にいるのか時々考えることがあります。そんなに重々しく考えるわけではないが、ふと自分とはどういう存在なのだろうかと考えるのです。この場面のオキナワもそのような虚無感に襲われているのでしょう。しかも彼の場合ジャンキーですから、考えたところで、答えを見つけることはできそうにありません。
この本はあまりにも低俗であり、過ちばかりの彼らの生活を若者には読ませたくないという意見の人もいるでしょう。しかし、ぼくは低俗で過ちばかりの生活だからこそ、若者に何かを訴えかけられることがあるのだと思います。ある意味、彼らは反面教師として、未来を切り拓いていく若者たちにこのような生活をさせたくないというメッセージが込られめているのかもしれないですし、またたとえ落ちぶれた生活をしている人がいても彼らにも事情があるのだということ、戻りたくても戻れない状態にあるのだということ、そんな人たちを見たときに自分は何をするか、手を差し伸べるか、巻き込まれまいと避けるのかといったことを考えてもらいたいということもあるかもしれません。
小説が本当に伝えたいことは、作者にしかわからないのですが、解釈は自由です。ぼくは勝手ながらこのようなメッセージがあると解釈しました。個人的にはとても素晴らしい良書であったといいたいです。
この本には別な読み方があるでしょう。それを発見し、何を得るか・考えるかは個人に委ねられています。興味があれば、手にお取り下さい。
2010年10月21日木曜日
教育実習から学んだこと
教育実習が終わりました。
とてもいい経験になりました。
この実習の一ヶ月で学んだなと思うことを書いていきたいと思います。
一つめは秘めたる情熱も立派なもので、それは人を大きく動かしえるということです。
多くの人が引きつけられるのは、熱い人・強く人に訴えかける人。もちろんそんな人は苦手という人もいますが、そういう人が目立つということもあって、よく人を引っ張っていくのはこのような人々です。しかし、このような人々ばかりが流れを作っていくのではない、人を動かすのではないということを感じました。
クールに見える人、物静かな人、ラフな人。いろんな人がいます。先生だって同じです。いろんな先生がいました。でも話をしたり、指導してもらうといかにその先生たちが真剣に生徒に向き合っているかということがわかります。それぞれの考え方・スタンスをもっていて、そして教育に携わっている。そんな姿を見て実習期間を過ごしました。そんな先生にぼくはとても心を動かされたと思います。
どんな分野でもそうだと思います。
素晴らしい人・何か特別なものをもっている人はそれが常に前面に現れなくても、いつでも人を動かす力をもっています。
ぼくも秘めたるものをもつ人間になりたいな。その秘めたるもので、いろんな人にいい影響を与えられたら、それってとてもすごいことだと思うのです。そんな人間になれるように残りの大学生活を過ごさなきゃと感じています。
とてもいい経験になりました。
この実習の一ヶ月で学んだなと思うことを書いていきたいと思います。
一つめは秘めたる情熱も立派なもので、それは人を大きく動かしえるということです。
多くの人が引きつけられるのは、熱い人・強く人に訴えかける人。もちろんそんな人は苦手という人もいますが、そういう人が目立つということもあって、よく人を引っ張っていくのはこのような人々です。しかし、このような人々ばかりが流れを作っていくのではない、人を動かすのではないということを感じました。
クールに見える人、物静かな人、ラフな人。いろんな人がいます。先生だって同じです。いろんな先生がいました。でも話をしたり、指導してもらうといかにその先生たちが真剣に生徒に向き合っているかということがわかります。それぞれの考え方・スタンスをもっていて、そして教育に携わっている。そんな姿を見て実習期間を過ごしました。そんな先生にぼくはとても心を動かされたと思います。
どんな分野でもそうだと思います。
素晴らしい人・何か特別なものをもっている人はそれが常に前面に現れなくても、いつでも人を動かす力をもっています。
ぼくも秘めたるものをもつ人間になりたいな。その秘めたるもので、いろんな人にいい影響を与えられたら、それってとてもすごいことだと思うのです。そんな人間になれるように残りの大学生活を過ごさなきゃと感じています。
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