2011年10月2日日曜日

『本格派のための「英文解釈」道場』の私的訳 その2

第二番 八面六臂の活躍のthat

国は法を法自体のために維持しようとするのではなく、国民一人ひとりの生活のために維持しているのだ。国民はみな幸せになることを望んでいる。それには幸せが確保される環境が必要である。そして国民はその環境が守られるかどうかで国の力を見極めなくてはならない。十分明らかなことだが、幸せが得られる環境というものがわたしたちの力の及ばないものであるというわかりきった理由から、国は国民皆に遍く幸福というものを保障できない。ある人は心に決めた女性がいなければ生きる価値などないと感じてしまうかもしれない。しかし、誰もその人は国からその女性の愛を保障される権利があるとは議論しないだろう。それでもわたしたちが少なくともいえることは、全ての民を同じように幸せにすることができる一定の環境があるということで、そしてその幸せの環境は満足いく社会生活の最低限の基盤となる。国民が国の法に継続して従うのであれば、これが国が民に保障しなければならないものである。

法というのは言い換えるならば、国が国そのものに対して敷く無言の申し立てである。国ができることには限界があり、それは目に見えているものだから。そしてその限界が守られるために、その限界というものは国に対する民の権利をも含んでいる。権利という概念は何を意味するのだろう。権利というのは歴史的経験の功績の中で、個々人が幸せをつかむことができるという確証を得られる環境のことである。個々人の権利が一定であると、わたしたちは言い切ることができない。権利というのは時と場所によって明らかに変化するものだからだ。しかし変化するものであるとはいっても、個人は国の命令に従っているので、国から一国民として認識されることを期待してもよいだろう。


英語を訳すのって、日本語の語彙も知らないと難しいです。

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