2010年11月12日金曜日

『「ある」と「ない」』 『身の周りに感謝したい』から

二人の友人が嬉しいことにぼくのブログに関連したブログを書いてくれていたので、彼らの意見・考え等について書きます。


http://sato-system.blogspot.com/2010/11/blog-post_09.html
まず、Satoh380君の意見。
ぼくの言いたいことを彼自身のエピソードと、わかりやすくて読みやすい文章に変えてくれました。ぼくは一例で自分の犬の死を書きましたが、彼の言うとおり生物に限定しないです。物でもなんでも当てはまります。失くしてみて初めてそのものの大きさに気づくなんて、日常生活をよく見まわしてみるとたくさんあります。


http://varrie-alyabani-uk.blogspot.com/2010/11/blog-post.html
彼の意見もなるほどと思えるものでした。存在はしだいに当たり前になっていき、それがあるということに感謝するのは難しいです。そして失くしてから、「ない」ということに気づく。そう考えると、そこに「ある」という感覚はなくて、「ない」という感覚はあるという風に言えるかと思います。


しかしずっとそれではいけない。人間は成長なる過程でたくさんのものを失くしていきます。それらがあるうちに、その存在を実感し感謝できるようになっていくのが大人になることの一つだと思います。それがいつできるようになるかはわかりません。だからこそ、Yuki Oku君のいう「失ったものというのはその役目を終えて失われた瞬間に私たちはに自分を客観視させるという第二の役目を果たす」ということが言えます。ぼくはOku君のこの表現が大好きです。その通りだと思います。人間は身近な大切なものに気づかないから、失ったものが人間に諭してくれるのでしょう。ですからぼくの犬は、身近なものを大切にしなさいということを最後に教えてくれました。


なんだか自分のエピソードを美化しすぎた気もします。しかし自分の書いたブログからこれだけ多くの意見が出てくるというのは、とても嬉しいことです。


最後に二人の優しい言葉に「ありがとう」

また書きます。

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