授業で『英語教育のポリティクス』を読んでいます。
『英語教育のポリティクス』
『英語教育のポリティクス』
三友社出版 (2009/08)
江利川 春雄
少しずつまとめていこうかなと思います。
1 All English反対
まずこの本を読んでいてすぐに感じることのできる主題でしょう。作者はAll Englishに反対する理由を多く挙げていますが、わたしはそのうちつを取り上げます。
(1)母語を身につけることで教育効果を上げる
高校の英語教育には、母語による高度な「認知学習言語能力」が不可欠です。よく「英語は英語で考えるようにする」だとか、「英語の回路」とかいう発想を聞きます。しかしそれは最終的なゴールとしての目標設定としてはよいかもしれませんが、発展途上の学習者にはそれは無理な話です。日本語で思考をして、それを自分の中で英語にしていくという作業が必要だと思います。
(2)指導の実態に合わない
実際の授業では、受験対策や文法指導があります。そんな中all Englishの授業はあまりにも現実離れしています。All Englishの授業をしても生徒たちは理解できなくなるだけです。
(3)教師の裁量権侵害
All Englishの授業を指導要領で定めて教師に強いることは、現場を一番わかっている教師の臨機応変に対応しようとする柔軟性を奪うと思います。生徒や学校のレベルによっては、all Englishの授業が成り立つこともあるかもしれません。それは教師が判断すればいいことです。上が介入しすぎて、むしろうまくいかないように感じます。
実際教員はオーラル・コミュニケーションの時間を割いて、文法指導や文法授業を行なっている事態もあります。
2. 英語教育における格差
小学校での英語教育が始まることで、塾に行く生徒が増えている(p.25)。このことにより格差が助長されるといいます。小学校での英語教育が導入される前と後で、実際にどれくらいの生徒が行くようになったのかわかりませんが、このままでは格差は助長される可能性があります。入試や生徒が必要としている能力を無視して、コミュニケーション中心の授業を進めていって文法指導がおざなりになれば、塾に行っている生徒とそうでない生徒では大きな差が出るでしょう。
3. どんな目的を持つか
p.36では「目的論の大切さ」と称してあります。日本の英語教育の目的とは何でしょうか?それがまったく考えられないままで、英語教育が語られていないでしょうか。こう言うとおそらく、「コミュニケーション能力の育成が目的だ」という方もいらっしゃるのでしょう。しかしそのコミュニケーション能力とは何なのでしょうか。この「コミュニケーション能力」とは、ぺらぺら英語を話すことという風に解釈されていると思います。ぺらぺら話せるというと、かっこいいというイメージを抱きがちですが、話していることの中身も「ぺらぺら」というのでは困ります。(これはわたしの大学の先生も述べていることです。)自分で考えたことを英語で表現する、そして英語で情報を受け取る。それが英語教育の目的だと、わたしは考えています。(これもこれから変わっていくのでしょうね)。
4. 「学びの共同体」を築く英語の授業
「学びの共同体」というワードが比較的頻繁に登場します。教え合うこと、学び合うこと、それが「学びの共同体」です。英語の授業では、この「学びの共同体」を築くことが大切だと著者は言っています。小学校の英語教育についての部分でも、教え合いが有効だと言っています(p.35)。自分なりの結論も持っていないで書いてしまいましたが、わたしはまだ「学び合い」には賛成でも反対でもありません。それはわたしがそれについて何も知らなすぎるからです。これについてはゼミの友人たちと話をしたこともありますが、まだまとまりません。自分なりの意見が出たら、また書きます。
1 All English反対
まずこの本を読んでいてすぐに感じることのできる主題でしょう。作者はAll Englishに反対する理由を多く挙げていますが、わたしはそのうちつを取り上げます。
(1)母語を身につけることで教育効果を上げる
高校の英語教育には、母語による高度な「認知学習言語能力」が不可欠です。よく「英語は英語で考えるようにする」だとか、「英語の回路」とかいう発想を聞きます。しかしそれは最終的なゴールとしての目標設定としてはよいかもしれませんが、発展途上の学習者にはそれは無理な話です。日本語で思考をして、それを自分の中で英語にしていくという作業が必要だと思います。
(2)指導の実態に合わない
実際の授業では、受験対策や文法指導があります。そんな中all Englishの授業はあまりにも現実離れしています。All Englishの授業をしても生徒たちは理解できなくなるだけです。
(3)教師の裁量権侵害
All Englishの授業を指導要領で定めて教師に強いることは、現場を一番わかっている教師の臨機応変に対応しようとする柔軟性を奪うと思います。生徒や学校のレベルによっては、all Englishの授業が成り立つこともあるかもしれません。それは教師が判断すればいいことです。上が介入しすぎて、むしろうまくいかないように感じます。
実際教員はオーラル・コミュニケーションの時間を割いて、文法指導や文法授業を行なっている事態もあります。
2. 英語教育における格差
小学校での英語教育が始まることで、塾に行く生徒が増えている(p.25)。このことにより格差が助長されるといいます。小学校での英語教育が導入される前と後で、実際にどれくらいの生徒が行くようになったのかわかりませんが、このままでは格差は助長される可能性があります。入試や生徒が必要としている能力を無視して、コミュニケーション中心の授業を進めていって文法指導がおざなりになれば、塾に行っている生徒とそうでない生徒では大きな差が出るでしょう。
3. どんな目的を持つか
p.36では「目的論の大切さ」と称してあります。日本の英語教育の目的とは何でしょうか?それがまったく考えられないままで、英語教育が語られていないでしょうか。こう言うとおそらく、「コミュニケーション能力の育成が目的だ」という方もいらっしゃるのでしょう。しかしそのコミュニケーション能力とは何なのでしょうか。この「コミュニケーション能力」とは、ぺらぺら英語を話すことという風に解釈されていると思います。ぺらぺら話せるというと、かっこいいというイメージを抱きがちですが、話していることの中身も「ぺらぺら」というのでは困ります。(これはわたしの大学の先生も述べていることです。)自分で考えたことを英語で表現する、そして英語で情報を受け取る。それが英語教育の目的だと、わたしは考えています。(これもこれから変わっていくのでしょうね)。
4. 「学びの共同体」を築く英語の授業
「学びの共同体」というワードが比較的頻繁に登場します。教え合うこと、学び合うこと、それが「学びの共同体」です。英語の授業では、この「学びの共同体」を築くことが大切だと著者は言っています。小学校の英語教育についての部分でも、教え合いが有効だと言っています(p.35)。自分なりの結論も持っていないで書いてしまいましたが、わたしはまだ「学び合い」には賛成でも反対でもありません。それはわたしがそれについて何も知らなすぎるからです。これについてはゼミの友人たちと話をしたこともありますが、まだまとまりません。自分なりの意見が出たら、また書きます。
友人の奥君(奥ism: http://varrie-alyabani-uk.blogspot.com/2011/04/blog-post_21.html)が頑張っているのを参考に自分でもトライしてみましたが、なかなか書くのは難しいですね。
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