今回の授業ではルーマンのコミュニケーション観についての学習でした。彼の論では、主に二つの幹がありました。自己準拠と二重の偶発性です。
自己準拠は人間は自らの知識・考えの範囲でしか情報を受け取ることができない。つまり話者が何かを発したときに、それをそっくりそのまま受け手が理解するということはあり得ないというのが自己準拠です。これはコードモデルを真っ向から打ち崩すものです。話者のAという発言を聴き手がAもしくはA’という形で受け取る、これこそがコミュニケーションであるという考えはルーマンによって覆されたわけです。
これは普段何気なくコミュニケーションを取っているわたしたちからすれば、特に高等教育を受けているものからすれば当たり前のことのように思えますが、コミュニケーションの捉え方の一つであったコードモデルに異議を唱え、新たな論を展開することはとても難しいことだったでしょう。
さて、次に二重の偶発性です。二人の人がいるとします。うち一人はもう一人に話しかけたい、しかしどんな反応をされるか不安である。一方もう一人はというと、こちらも同様の不安を抱いている。そしてどちらもそのことをお互いにわかっているとしたら、お互いは相手の偶発性に依存していることになるというのが、二重の偶発性です。正直いうと、ぼく自身この二重の偶発性は理解していません。そのような二重の偶発性の例は理解できても、そのものの本質を理解しているわけではないです。
今までたくさんの先人たちのコミュニケーションの捉え方を見てきましたが、本当にみな独自の捉え方をしています。まったく同じ考えという人はいませんでした。またどの先人たちの考えにも賛同できる部分とそうでない部分がありました。コミュニケーションの概念は常に流れているといるのだと思います。そうするとコミュニケーションとは何かということは定義できない、ということになります。
では研究をやめてもいいのか、そうではありません。過去の研究があって、現在の研究があるように、現在の研究も未来の研究者たちにつながっているといえます。そしてそのような研究がそれぞれの時代の教育に影響されるわけですから、常にコミュニケーションとは何かということを問い続けていかなければなりません。
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