冬休み中にブログに書きたいことをメモしてためていました。
書きたい・おもしろいと思ったことがあったらメモしておいて、できるだけ早く文章化する、これが冬休みに感じたことです。
ということで、日本人の無宗教について書きます。内容は本当に浅いですが、これをきっかけに考えていって、自分なりに考えが深まったら、また追記していくという形にする。そういうやり方でいいのだと思うのです。要は考えるか・考えないのかですから。では書いていきます。
授業で宗教の話しが出ました。コミュニケーションの授業だったのですが、先生が話を広げるのが上手かつおもしろいので、すっかり夢中になってしまいました。西洋の宗教は従来一神教なので、人間の単数性という考え方しかなかったのではないかということでした。これがコミュニケーションに結びついていくのですが、ここでは避けましょう。
これを聴いたとき、とても不思議な気持ちでした。ぼくは人間の複数性について記事を読んだときに「なるほど」と納得したのですが、人間の単数性の話が出てきたときに、「そういう考えもあるよね」と自然と思えました。これはぼくの無宗教の特性がよく表れているのではないかと思いました。
日本人の無宗教は、宗教の知識・背景を知らない。ひどい場合になると興味がない、末期になると煙たがるというものですが、無宗教ゆえの寛容性も同時に秘めているような気がしました。
自分の宗教を信じるのは自由、どの宗教も悪いとは思いません。ただし人を不幸にするようなものをぼくは宗教だとは思いませんし、そんなものは認めません。同じ人間なのに、宗教のために命を捨てる、または奪うのはおかしなことだと思いませんか(これも無宗教の考え方でしょうか。)どの宗教もおそらくは人の心の支えとなる、生き方の指針となるもののはずですが、人を不幸にすることもあるというのは奇妙なことです。
日本人の無宗教は悪という考え方が多い気がします。なぜでしょうか。それはあまりにも宗教に無関心ということだと思います。寛容以前の問題です。なのでこれからぼくは、宗教のことを何も知らない・興味もないというのを無宗教と呼んで、宗教の知識もあるしそれを毛嫌いもしないけど何も信仰するものがないというのを非宗教と呼ぶことにしました。非宗教だからこそ、見えるものがあるとそう思うのです。
これは決して信仰をもつ日本人を誹謗・中傷するものではありません。信仰するものがあるなら、それは自由です。
非宗教の人も少しは胸を張って生きていけると思います。
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