2010年9月23日木曜日

夏に再開した人

この夏にある人に再開しました。
その人(Sさん)に学んだことを書きたいと思います。

Sさんは高校時代の部活の後輩です。2つ年下だから関わりは少ないはずなのですが、ぼくがAO入試で大学を早く決めたこともあってか、話すことが多かった人だと思います。

ぼくは大学に行ってからもSさんと連絡を取っていました。大学3年生になった今、Sさんも大学1年生。
Sさんは福岡の大学に進学し、この夏会いに行きました。

Sさんはとても純粋で前向きな人です。Sさんと話しているうちになんだかぼくが失くしてしまったものを、Sさんがとても強くもっていると感じました。それは「自分から行動すること。」
高校時代のぼくは新しいことに挑戦すること、見知らぬ人と話すことに恐れを感じることがなく、多くの人と積極的に行動していました。時間を、一期一会を大事にできる人間だったと思います。(自分でいうのもなんですが。)

しかし、大学に入ってからそういう機会が少なくなり、自分がそういう人間でなくなっていくのがわかりました。高校時代は周りがぼくに行動するチャンスを与えてくれて、それに乗っかってぼくは多くの経験をしていました。大学はそうもいきません。自分で行動しなければ、時間がただ過ぎさって、その後に取り残されるだけです。

さらにぼくは大学生になって、外の世界に出るのを恐れるようになったと思います。なぜかはわかりません。
自分が大きく変わってしまう気がしたのかな。そして変わることが恐いと感じたのかな。

ですが、飛べない鳥は悲しい。せっかく多くの人がぼくの成長を見てくれているのに、多くの人がぼくと関わってくれるのに、ぼくが成長しなかったらそれは残念だなって感じるようになりました。ぼくが多くの経験をして、成長して、彼らのために、他者のために、世界のために何かをすることが、ぼくにできることだと思います。

大学生活は半分も残っていません。しかし、ぼくはこれから行動します。経験します。それはどんなものか、まだわからないですが、ただ言えることがあります。それはぼくは外の世界に飛び立たなくてはいけない。ひとまわりも、ふたまわりも成長しなくてはいけない、ということ。そして多くの人、ものに感謝するということ。

話が逸れましたが、Sさんのおかげでぼくはこのようなことを考えることができました。Sさん自身と、Sさんに再会できたことに感謝。

このブログを読んでくれる方々も周りの人たちを大事にしてくださいね。

そしてブログを読んでくれたあなたにも、ぼくから感謝。

God bless all of you!

では、また書きます。

2010年9月5日日曜日

日本人の処世術

処世術というものが日本では根付いている気がします。
例えば、「世渡り上手」というのは処世術を身につけた人のことや、そのような能力を指すと思います。
ぼくも一時期信じていました。親にも「要領よく」ということはよく言われて育ってきたので。
しかし、日本の処世術はしばしば方向性を間違える。その例を考えたいと思います。

まず、「ポジティブ思考でいこうよ」という考え方。「失敗を気にせず前を見てポジティブにいこうよ」という発想は欧米から来たもので、日本でも浸透していると思います。しかし、「ポジティブ思考」の本質は「失敗を踏まえて、次に生かす。だから挑戦することに臆するな」ということであって、決して失敗を忘れてとにかく元気出していこうよという考え方ではないということ。失敗をしたのに、それを踏まえなかったら、また同じ失敗をすると思うのです。「ポジティブ」ってそういうことではないと思うんですよね。

もうひとつ。「他人の長所だけを見て生きていこうよ。」という考え方。これもなんだか間違った考え方のような気がします。他人の長所を見出すというのは、人間関係において必要なことでしょう。でも長所だけ見て生きるのって本当の人間関係ですかね?ぼくは相手の短所や他人だったら嫌ってしまうような欠点をも受け入れることができる人こそ、本当に大きな器の持ち主だと思います。長所だけ見るのって、過ぎたるは及ばざるが如し、つまり短所だけを見て人格・人間性を判断する人らとなんら変わりないということですね。

ぼくも人間としてまだまだなので、あまりこういうことを書いても説得力はないのですが、書くことで自分に戒める意味もあります。



読んでいただいてありがとうございます。

2010年8月23日月曜日

銀河鉄道999

少し前に999をBSで放送していました。
そこで見ていて思ったのが、日本のアニメは質がいい。

大人になればなるほどおもしろくなる。
ぼくが見たエピソードからおもしろかったものを紹介します。

鉄郎がある星でラーメンを食べた。するとそのラーメン屋で昔働いていた女性がやってきて店主に残飯を分けてほしいと言った。店主はしぶしぶ残飯を与えることにした。女性はゴミ箱をあさったが、ほとんど食べ物はなかった。鉄郎は気の毒に思い、彼女にラーメンをごちそうする。そこへある男がやってきてラーメンを注文した。彼は店主にあそこの男の子が金を払うと言った。その男は鉄郎が女性にごちそうしたのを知っていて、「俺にはラーメンを食べさせてくれないのか。不平等だ。」とどなる。仕方なく男にごちそうすることを決めた。すると男は外にいた大勢の人を連れてきて、「こいつが食わせてくれるってさ。」と言った。だが、当然お金は足りない。店主が食べられなかった人々に、「文句はあの子に言いな。」と鉄郎に指差す。飢えた人々は鉄郎を追いかけてくる。

というエピソード。優しさや寛大な心にはしばしば大きな責任が伴うということだと感じました。

もうひとつ。

ある星で鉄郎が999へのパスを盗まれた。そして999へ戻ると車掌が「申し訳ないが君は乗せられない。」という。「なぜ?」と問うと、「パスを持っていないものは乗せられない規則だから。」と車掌がいう。鉄郎が「もしぼくのパスをもったやつが現れたら、取り返してくれ。」と車掌に頼む。車掌は「それはできません。」と答えた。鉄郎は当然納得がいかない。そこにメーテルが、「どんな者であろうと、どんな方法でパスを手に入れたとしても、パスの持ち主が999に乗る権利を持つのよ。」という。

日常ではしばしば不条理なこと、理不尽だと思われることがある。君たちもそういう経験をすることがあるだろうということを覚えておきなさい。そんなメッセージが込められているかのようなエピソードでした。

子どもだと、ただストーリーの流れをつかんで追っていくことしかできないかもしれないが、少し成長してから改めて見てみると違ったものが見えるのではないかと思ったのでした。

2010年7月17日土曜日

教師像

教育の授業で耳にした教師像とは何か。

それはどのようなものか。
「教師は役者であれ」というもの。そして生徒の成長のためには進んで嫌われなさい、というもの。

基本的には賛成できない。
確かに生徒のやる気を喚起するため、発達を促すという意味では時には「役者」になるべきかもしれない。
時には嫌われるのを恐れず、指導するべきかもしれない。

だがいつでも役者として、生徒と接していては生徒も教師を人として見てくれることはないのではないだろうか。教師はありのままで接してよいと思う。生徒としかと向き合うには、それが大切だと感じる。

もうひとつ。生徒に嫌われてもよい。これは絶対にだめだろう。生徒の発達のためにきちんと指導はするが、好かれなければ生徒は、教師の言葉に耳を傾けない。授業も聞いてくれない。いくら立派な先生でも、嫌いな先生の話というのは、生徒はあまり聞きたがらないものだ。人は信頼関係がなければついてこない。生徒をある方向に導きたいと思うなら、好かれて信頼関係がなければ。

それを念頭に置いて、教育の場に臨まなければならない。

2010年7月10日土曜日

電子書籍元年

今年はそう呼ばれる年なのだそうな。
わたしは平成元年世代の人間ですから、電子書籍とは元年仲間ということになります。(ぼくは正確には早生まれなので、平成2年の人間ですが。)

電子書籍といえば、kindleやiPadですね。本を紙という媒体を介さず、データとしてダウンロードする。それが電子書籍。それゆえに低コストで、データだから場所も取らない。だから持ち運ぶのもかなり楽になります。本なのに紙じゃない。そんなことをアナログ人間に言うと戸惑うでしょう。紙だから本じゃないの?しかし、ある日のニュースで電子書籍の展示会の模様が放送されていましたが、お年寄りが意外と多い。ぼくのともだちが言っていたのですが、「iPadは直感的に使えるから、コンピュータ世代じゃない人でも問題なく使える」と。その通りかもしれない。へたにコンピュータになれた奴(例えばぼくです。使いこなせないけど、中途半端に使える。)よりもアナログ世代の方が使いこなせるかもしれない。これから少しずつ電子書籍は電子辞書と同じように当たり前のものになっていくかもしれないですね。

中国も日本向けに電子書籍を開発・製造・販売していくらしいです。中国もいいところに目を向けました。kindleやiPadは日本語の書籍をまだまだデータ化していない。そんな中あえて中国は英語の書籍ではなく、日本語で勝負する。別の土俵で戦うというのは、かなり賢い戦略だとぼくは思います。

紙の本は衰退していくのか。いや、こちらも頑張っているらしい。例えば、英語のオーディオブック。英語のセンテンスが書いてあって、それを専用のタッチペンでタッチすると、それを発音するのです。おもしろい機能を考えたな。もうひとつ努力しているのが、図鑑などの本は今までよりサイズを大きくしてより見やすくしたのだとか。ぼくはこの考えは大好きです。オーディオブックの努力はどう見ても背伸びにしか見えなかった。電子書籍は場所も取らず、低コスト・軽量ときていますが、その代わり文字や絵の大きさには限界があります。解剖学の専門書を図書館で開いてみたことがありますが、それはあの大きさだからわかるのだろうなと感じます。電子書籍にできないことを、紙の本は頑張るべきです。電子書籍にできることで勝負してもかないっこないのだから、タッチペンは正直どうかなと思いました。

ただ個人的にはまだまだ紙の本はそんな努力しなくても(いずれしなくてないけないですが)、多くの人が手に取ります。ときどきあんな本を持ち歩くのは面倒だとか、本屋や図書館に行くのが面倒だとかいう人もいますが、それは横着でしょと言いたくなりますね。自分のためでしょ、それくらいの手間は惜しむなよと。それにふと本屋や図書館に立ち寄って、おもしろそうな本に出会ったときの感動は、紙の本ならではだと思います。ぼくも電子書籍はおもしろいと思いますが、まだ手は出しません。まだ紙を手に取って読んでいる感覚が好きだから。

でも電子書籍も紙の本もまだまだこれから、時代やコンピュータと共によい方向に変わり続けていくといいですね。

2010年7月5日月曜日

英語公用語化

楽天で英語が公用語になるのだそうな。
これからの国際戦略のためらしい。

そこで大事になってくるのが、コミュ二ケーション能力。それもただいわゆるぺらぺらな英語だけではなく、相手の言っていること、意図していることが理解できる。加えて、Emailを受け取ったときにも、誤解をすることなく読み取り、それに適切に返せるというようなアカデミックな英語能力である。交渉する、契約する際にもアカデミックな英語力が必要になる。話せるけど中身が薄い、書けるけど幼稚な文章というのでは国際社会からなめられてしまう。そうなると利益は見込めない。残念なことである。

皆が楽天に入りたいわけでないから、全生徒がそのような力を身につけさせる必要性はないかもしれないが、どんな生徒にもある程度はアカデミックな英語を通して学習すること、または社会に出て困らないくらいの英語力は必要になる。

コミュニケーションは大事だが、その中身は考えて指導するべきだと感じた。

2010年2月16日火曜日

Lincolnのことばから

Abraham Lincoln once said,
"In the end, it's not the years in your life that count. It's the life in your years."

この前大学のコースで行事がありました。そこで後輩と少し話す機会がありました。

彼はすごい読書家でよくものを知っているということを聞いていました。彼はぼくに「何かおもしろい本ありませんか?」と尋ねてきました。ぼくはヘルマン・ヘッセの「車輪の下」を薦めた。
ぼくは本のタイトルだけ告げて作者は言わなかったが、彼は「ああ、ヘッセの本ですよね。読みました」と一言。ぼくは驚きました。

そこでLincolnの上記のことばが頭に思い浮かびました。年下であっても、自分よりも立派、そういう面を一つでももっているなら、その面に関しては尊敬に値すると思います。彼のことを詳しく知っているわけではないですが、その側面に関しては尊敬しています。たとえ「彼が年下であっても」です。