今この本を使って英文解釈の勉強をしています。
これはゼミの先生に「英文を読むのに苦労する。単純な文構造ならともかく、複雑な構造を持つ文が苦手で、アカデミックな文を読んでいてわからないことがしばしばある。」ということを相談したときに薦めてくれた本です。
いや、正直英語教育を専攻していながら、英文読むのが苦手ってどうなの、と思うかもしれませんが、文法の学習を怠った者としては、本当に悩みの種です。しかしこれがないと英語学習者としての成長が止まるのではないかと思って、再学習を決心したんです。英会話さえできれば満足というわけではないので、しっかり勉強したいですね。
それでまだこの本を使っての学習は浅いんですが、この本はなかなか読みごたえのある文章が多いと思います(ぼくの英語力が低すぎて、読みごたえがあるだけなのかな)。解説も丁寧なので、わからないところがあっても、たいてい助けてくれます。文の構造をしっかりと捉え、ちゃんと理解しながら英文読みたい、という人にはお薦めできるかな。
文法書ならNext Stageとかも持ってますけど、もうあれを使って勉強する時期はすぎたかなって思いますね。あれは文法事項の大量インプットが必要な時期にやるものかなって個人的には感じてます。
というわけで、まったくぼく個人のためでしかないのですが、読んだ英文を自分なりに訳して、ここに残しておこうかなと思います。本当はぼくの訳に加え、英文と模範訳も載せたいのですが、さすがにそれは著作権に触れるのかなって思うので、ぼくの訳だけ残します。それはさすがに問題ないでしょう。
ここから先はぼくのへなちょこな訳が載ってるだけですし、自分の学習のために書いたものなので、読んでも意味がないかもしれませんね(笑)
第一番 接続詞
友情は理屈を超えたものである。それゆえ友人の中に徳を見出すのだが、そんなもの(徳)を見出す以前からその人は友人だといえる。友情はわたしたちが提供すべくして提供する贈り物のようなものである。友情を徳の報酬として与えるというのは、友情に値段をつけるようなもので、そんなことをする人々は友情を与えることができない。自分が徳のある人間であるという意識や、徳のある仲間がほしいという気持ちの下で友人を選んでいるとしたら、友人を商業的な理由で選んでいるよりも、ずっと真の友情からは遠い。それ以前に、諸君が一体何者であれば友情に価値づけできようというのか。どんな人にも友人を作ることができる神秘的な力を持っているということだけで十分で、あとはそのおもむくままにして友人を作ればいいのである。だから徳のある人々を友人にしようとしても、その人たちがあなたを友人と選ばないかもしれない。友情とは実に、打算的な友情選択の前には起こりえないのである。それはまるで眠りのように、考えてもみないときに訪れるのである。友情を感じたときには感謝すべきである。
だから友情が何たるかわかっている人は、友人の評判が悪くなったからといって友人を見捨てるようなことはしない。友人をやめるたった一つの理由があるとすれば、それは労わることをやめたときだろう。そしてそうなることがあれば、友人が価値を失くしたことではなく、自分の愛情の欠乏を責めるべきである。それは女性に関しても言えることで、女性に恋に落ちたときに彼女には価値がないと思うようなもので、非人間的な想像である。本来友情と恋愛においてわれわれはいつも控えめである。それは無償の贈り物が天からわれわれに授けられるから。友情や愛を失うことでその控えめさを失くすといことは、恥ずべきものに固執しているということなのである。
訳の練習を重ねるうちに、自分の成長が見えてくるといいな。