2011年5月24日火曜日

『英語教育のポリティクス』 第2章 英語教育の<いま>を問いなおす

『英語教育のポリティクス』
江利川春雄 三友者出版 (2009)

第2章 英語教育の<いま>を問いなおす
英語教育はよくも悪くも話題になっている分野です。教育の中でもこれほど話題になる教科は英語くらいではないでしょうか。第2章は現在日本が抱えている英語教育の問題点を扱っています。その中からわたしが興味深いと感じたものをまとめます。


1. 2週間に1つの言語が消滅
世界にはいったいいくつの言語があるのでしょうか。8000を越えると唱える人もいれば、4200~5600とする人もいます。いずれにせよ大きな数字です。それだけ言語があれば、なくなってしまう言語があっても不思議ではないです。それだけ数ある言語の中から、外国語学習を「英語を学ぶこと」へと一律化してしまうことは、経済界のグローバリズムの思うような動きだと述べています(p.46)。

わたしたちが英語を学習することだけを徳だとするならば、それは言語消滅に拍車をかけることにほかならないのです。そこでわたしたちは英語を学ぶもしくは教えることで、なくなりつつある言語の存在を思い出さなければならないのです。なくなりつつある言語を題材にした教材を扱うことを、筆者は勧めています(p.46)。

2. 英語科教育と歴史認識
教科教育と歴史の学習というと、社会科をまず思い浮かべるでしょう。「世界史」「日本史」という科目があるくらいなので当然です。英語科はまったく歴史認識と関係がないように思えますが、実はそうではありません。英語科は戦争の歴史を背負っているのです。英語教科書において戦争教材が導入されるのは日清戦争の時期にさかのぼりますが、その色がより濃くなるのは1937年の日中全面戦争からです(p.50)。その当時の教材はというと、兵士・軍事訓練・「大東亜共栄圏」などでした。そして戦後、その教科書は黒塗りにされて、人々はその歴史に目を向けまいとしたのです。

わたしは戦争の歴史を教えることは、とても大切だと思っています。黒塗りになんかせず、日本がどのような英語教育をしてきたか、それを受け止めて、その歴史の上に立つのです。その自己反省の態度をわたしたち自身が示さずいて、どうやって生徒たちに自己反省を説くことができるでしょうか。自身の過ちを認めて改善しようとする人間についていく者、そのような人から教わる生徒は自ずとそのような態度が身につくものだと思っています。

3. 恥ずべき教育予算
教育にはお金のかかるものです。文科省は概算要求の段階で、「小学校英語条件整備推進プラン」として37億5千万を計上していたにもかかわらず、政府の予算案では6億2千万にまで削られました。(p.67)これを一校ずつの額で見ると、年間わずか2万6千円です。これだけしか支給しないでおいて結果を求めてくるのですから、教育を何だと思っているのでしょうか。これでは教員の数も増やせない、教員の質も上げられない。そうなると生徒たちに高い水準の英語教育なんて施せません。

ディートリッヒ・ボンヘッファーの言葉に次のようなものがあります。「子どもたちに何をするかで、その社会のモラルを計ることができる。」子どもたちの教育にかけるお金を削ることは、モラルの高い社会のすることなのでしょうか。

日本の将来のためにも教育には予算をかけてほしいです。小学校の英語教育は行なうなら、もっと予算が必要でしょう。予算をかけない中途半端なものであれば、やめた方がよいと思います。

1 件のコメント:

  1. 「1. 2週間に」みたいに数字が並ぶのは良くない。
    →1. 「消滅する言語」とか、少なくとも「言語は2週間で1つなくなっている」くらいに書き換えるべき

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