2011年6月30日木曜日

ある教授のお話

お昼に階段を下りているといると、コースの先生とばったりお会いしました。そこで久しぶりだねとあいさつ。わたしはその先生の話の内容、立ち振る舞いがとても好きなので、お話を伺いたいと言うと、なんとその場で話をしてくれました。階段の踊り場で話です。本当は今度先生の研究室にお邪魔してと思っていたのですが、せっかく先生が話してくださるというのでその場で決行。

以下は先生のお話とその感想です。
お話自体が10分足らずであり、聞いた話を思い出しながら書いたので内容はめちゃくちゃかもしれないです。

1 言語は創造性に富み、アートそのものである
先生は1400年頃の英語を研究していたそうです。聞いたかぎりでは、英語そのものだったのか、英語史だったのかは定かではありません。その後はチョーサーやシェイクスピア、ディケンズなどの文学や詩を研究しているそうです。

「詩や文学、そしてそれを表現する言語。それらはすべてアートである。言語は創造性というものを持っている。言語によって創造性が広まる、深まる。それだけでなく、創造性によって言語は変化する。実際に客観的な視点から主観的な視点へ、言語の意味は変化した。人間の創造性によって、言語が変化した。」

わたしたちが美しいと感じる文学も、風景や風情を生きいきと見せてくれる詩も言語によって表現されています。もはやそれは芸術そのものです。

英語の詩・文学という分野は興味があるのですが、どうしても敷居が高いというイメージが先行してしまい、まだまだはまりきれていないですね。英語での詩や文学は、日本語よりも風景や美しいものを描写するのに優れた言語だと、わたしは思っています。感覚的にしかわからないのですが、形容詞が多いからでしょうか、日本語よりもより鮮明に情景描写のできる言語だと思います。(一方、日本語は心情描写というものが英語よりもきめ細かいと感じます。英語での心情描写は、こう直接うったえかけてくる感じで、日本語はゆっくりと迫りくるような感じですかね。抽象的すぎますし、専攻していない分野のことを話すので恐縮です。このあたりは文学部の人や、感受性の高い人と話してみたらおもしろそうです。)
そして情景・心情・美しさなど、言語が表すことのできるものは無限です。それは先生がおっしゃる通り、情景や心情などが言語にその無限の可能性を与えているので、言語もそれらを限りなく表せるのです。言い換えると「言語と言語によって表される事象は、相互作用を起こすことで、創造性が高まる」といったところでしょうか。
この分野は、もっと文学や詩に触れてからぜひ書き直したいですね。

2 授業は作り出すのではなく、生み出されるのだということ
先生が、今全然研究できていないことは「教育」だとおっしゃっていました。とはいっても、先生は自身で考えていることがあり、それが「授業は作るのではなく、生み出されるもの」 ということでした。授業でこれを言おう、あれを言おうとすると、うまくいかないことが多い。生徒には届かない。生徒もひいていく。

わたしもそうだと思います。もちろん生徒にどういう意図で何をどんな順番で教えるかという、「仕掛けられたもの」は重要だと思います。それはたとえるなら設計図だと思います。設計図は必要ですが、まったくそれ通りにしか動けないというのもまた問題です。先生はそういう部分を指摘したかったのだと思います。

やはり先生とお話しするのはいい機会だなと思います。わたしよりずっと長く勉強しているわけですし、博識です。ぜひわたしも憧れる先生のようになりたいものです。

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